畜生は動物の類。六道の中でも、畜生の種類が最も多い。
婆沙論の中の釈によれば、畜生の「畜」は畜養の畜であり、「生」は衆生の生を意味する。
所謂動物の行いは愚痴であり、自立することができない。そのため他の畜養に使われる。故に「畜生」と名づけられる。
楼炭経の説によると、畜生はそれぞれの個体が不同で、大きく分けて三種ある。
一、魚。
二、鳥。
三、獣。
此の三つの中に於いて一一に無量の種類がある。
場所 | 種類 | 種数 |
---|---|---|
水行 | 魚など | 六千四百種 |
陸行 | 象・馬・牛・羊・鹿・猪など | 二千四百種 |
空行 | 鳥など | 四千五百種 |
畜生の生まれ方に四種類ある。
胎生 | タイショウ | 胎蔵より生まれる者 | 象・馬・牛・羊・猪・驢の類 |
卵生 | ランショウ | 卵より生まれる者 | 蛇・鵝・鴨・鶏・雉の類雀・烏・孔雀・魚・蟻子の類 |
湿生 | シッセイ | 湿気・腐肉・屍より生まれる者 | 飛蛾・蚊・蚰蜒(げじげじ)・蚤(のみ)・虱(しらみ)・蚊の類 |
化生 | ケショウ | 他に託す所が無く生まれる者 | 竜・金翅鳥など |
化生によって生まれる衆生は諸根を具足して欠けるところが無い。
一切の地獄、諸天は皆唯化生によって生まれる。
化生によって生まれる人間は劫初の人間に限られる。
菩薩處胎經よれば、_第一に大きい鳥は金翅鳥(コンジチョウ)を超えることはない。
頭から尾に至るまで八千由旬有り、高下もまた其の長さがある。
若し飛ぶ時になると一須弥より一須弥に至って途中で止まることが無い。
第二に獣の中では竜を超えることはない。
阿含経に説かれている通り、難陀跋と難陀の二竜は其の形は最大で、須弥山を七回めぐるほど。
頭は山頂に在っても尾は猶海中に至る。
第三に魚の中では摩竭大魚を超えることはない。
_四分律に説かれている通り、_摩竭大魚の身長は、三百由旬、或いは四百由旬あり、乃至極めて大きい者は七百由旬の長さに至る。
_故に阿含経によれば、_眼は日月の如し。
鼻は大山の如し。
口は赤谷
の如し。_と説かれる。
衆生の極めて小さい者の形は微塵の如し。
天眼でしか観ることはできない。
地獄中の畜生の二足は、鉄嘴鳥等。
四足は黒色の駿狗等。
鬼趣中の無足者は毒蛇等。
二足は烏・鴟等。
四足は狐・狸・象・馬等。
人趣の三洲中の無足は腹行の虫等。
二足は鴻・雁等。四足は象馬等。
欝単越中の二足は鴻・雁等。
四足は象馬等。
無足、及び多足の畜生は有ること無し。
彼の人間の無悩害の業の果報の故に。
四天王衆天、及び三十三天中の二足は妙色鳥等。
四足は象馬等。
余は無し。
前の釈と同じ。
四天中より上、空居天処は唯二足の妙色鳥だけが有り。
余は皆無い。
果報が勝妙の故。
問:彼の処に若し象馬等が無いとしたら何に乗るものと為すのか。
また彼の天は象馬等に乗ると聞く。
どうして無いと言えるのか。
答:彼の諸天は福業力の故、衆生に非ずの数の象馬等の形を作り、それに乗って自ら娯楽するためである。
毘曇の説によると畜生道の中の寿が極めて長い者は一劫を過ぎることが無い。
持地竜王、及び伊羅鉢竜などがこれにあたる。
寿の極めて短い者は蜉蝣(かげろう)の虫には及ばない。
朝生まれて夕死ぬ。
一日も経たない。
前世に造った十悪業が軽いものが畜生に落ちる。
重いものが地獄。
中間が餓鬼。
また業報差別経中の説によると、以下の十業を造るなら、畜生の報いを得る。
一、身に悪を行う。
二、口に悪を行う。
三、意に悪を行う。
四、貪煩悩により諸の悪業を起こす。
五、瞋煩悩により、諸の悪業を起こす。
六、痴煩悩により、諸の悪業を起こす。
七、衆生を毀罵する。
八、衆生を悩害する。
九、不浄の物を施す。
十、邪婬を行う。
種類 | 業因 |
---|---|
鵝(ガチョウ)鴿(ハト) 孔雀・鴛鴦(おしどり)の類 | 多欲 |
蛆(うじ) 蟻・蛾の類 | 愚痴 |
象・馬・牛・羊・鹿・諸の野獣の類 | 無智で殴打や束縛を好む |
蛇・蜂・蠍(さそり)・毒虫の類 | 瞋恨を作る |
八脚獣、及び虎・師子 | 高慢で自分を高くし、悪心が満ちて害を懐く |
猪・狗・驢・狐・狼の類 | 慳悋にして不布施 |
猿 | 憎悪が多く、心は軽躁で定まらない |
烏(からす) | 強顔で羞恥が少なく、多言で無節操 |
大力竜 | 大布施を修行するが、 急性の瞋怒を多く起こし、正念が無い |
大力金翅鳥 | 大布施を能く修行するが、高心で人を軽蔑する |
又智度論によれば、_愚痴が多いが故、蚯蚓(みみず)螻(けら)蟻・鶩(あひる)角鵄(とんび)の属の身を受ける。_と。
亦竜樹菩薩は曰く、「婬欲多いが故、鶩の身を受ける。
或いは愚痴が多いが故、亦鶩の身を受ける。
此の二つの鶩は同じであり、また異なる。」とも。
問:これはどういうことか。
答:欲を習する者は水鳥・鳧(かも)の流である。
これらは昼に見ることができ、夜も亦見ることができる。
欲に因って生まれたが故、常に群れで飛び回るからである。
痴を習する者は陸鳥・鵄梟の類である。
汎鳥の類は夜に見、昼は見ない。
痴に因って生まれたが故、常に夜だけ多く遊行するのである。
鼠と鴟(とび)に亦二種有り。
欲を習して生まれた者は老鴟であり、昼は見、夜は見ることが無い。
痴を習して生まれた者は角鴟であり、夜は見、昼は見ることが無い。
何の業を以ての故に、胎生の身を受けるのか。若し有る衆生が欲愛心を以て牛馬等を和合させて自ら悦ぶ。或いは他人に邪行・非礼を行わせる。この人は身壊れて命終の後、地獄に堕ちて衆苦を受ける。地獄より出でて胎生の畜生の身を受ける。若し人に生まれても、黄門(結婚しても子供ができない者)の身を受ける。余業を以ての故に。
何の業を以ての故に、彼の処に生まれるのか。若し人が未だに貪欲・恚痴を断じていないころに禅定を修学し、世俗の通を得る。有る因縁が有って心に瞋恚が起こり、先に獲た通により、国土を破壊する。この人は身壊れて命終の後、地獄に堕ち、無量の苦を受ける。地獄より出でて卵生の飛鳥・雕鷲の形を受ける。此より命終して、若し人に生まれたとしても、常に瞋恚を多く懐く。余業を以ての故に。
何の業を以ての故に、湿生の中に堕ちるのか。此の衆生は悪邪見が起こって亀・魚・蟹(かに)蛤(はまぐり)を殺害する。及び小さな池の中に住む多くの細虫や、酢中の細虫などを殺害する。或いは有る悪人が、貪財の故に諸の細虫を殺 したり、或いは細虫を殺して邪見を以て天を祭ったり、或いは虫を殺して祭祀を行ったりする。このような悪人は身壊れて命終し、地獄に堕ちて衆苦を受ける。年月は称計することができない。地獄より出でて湿生の身を受ける。蚊子、或いは蚤虱と 為る。
何の業を以ての故に、化生の身を受けるのか。此の衆生は前世の時、糸絹を求める為に養蚕により繭を殺し、蒸し、或いは煮、水を以て之に漬す。このとき無量の虫が生じる。其の虫は「火髻虫」と名づけられる。諸の外道が有って邪斎の法を受け、福徳を求める為に此の細虫を取りて、火の中に置いて諸天を供養する。これらの外道は身壊れて命終し、地獄に堕ちて衆苦を受ける。地獄より出でて、諸の化生の畜生に生まれる。
此の衆生は人の時、生死の為の故、布施を行う 時に共に願を発して「当来の世、常に夫妻と為らん」と誓いを立てる。この人は身壊れて命終の後、畜生中に生まれる。 少しの楽が有って大苦悩に非らず。所謂命命鳥・鴛・鴦・鴿鳥など。愛欲を多く楽しむ。業因を以ての故に。
狐・狗(いぬ)野干(のぎつね)は何の業を以ての故に、互いに憎害しあうのか。此の衆生は人の時、諸の善人・出家人の所に於いて、其の浄食を汚す。常に戯れて闘諍を起こす。貪心の因縁により、身壊れて命終し、畜生中に堕ち、野干狐狗の身を受け て、互いに憎嫉しあう。
何の業を以ての故に、彼の処に生まれるのか。此の衆生は前世の時、喜んで強賊と為り、鼓を撃って貝を吹き、城邑・聚落・村営に至って人柵を破壊し、大音声を起こして諸の恐怖を加える。このような人は身壊れて命終し、地獄に堕ちて衆苦を受ける。地獄より出でて鹿の中に生まれる。宿世に人の村落を壊し、他に恐怖を与えたため、広野・山林に生まれて常に恐怖を多く懐く。業力を以ての故に。若し人に生まれたとしても、心は常に恐怖し、小心にして怯弱である。余業の縁の故。
どのような衆生が魚の身を受けるのか。此の衆生は愚痴・少智で、慧心有ること無し。命終に臨む時、極患の渇病が襲い、水を貪ろうと念う。
この人が命終した後、中陰に於いて諸の水を見る時、そこに住もうとする心が起こるため、水中に生まれて種種の魚の身を受ける。
若し人が布施・持戒を行わないなら、是の人もすぐに煖水の中に生まれる。口は常に乾燥し、灰汁に触れるが如し。本業を以ての故に。
師子王は深い山の大きな谷に住して、頬(ほお)は角張り、骨は大きく身肉は肥えて、頭は大きく眼は長く、眉は高広で、口と鼻は深く、歯はしっかりと並んで鋭い。赤白い舌を出し、耳は高く上にあり、 背は丸まって其の腹は現れることがなく、六牙は長くて尾の毛は光り潤い、其の爪は鋭く、四足は地に安住して巌窟の中で尾を振り、 雄叫びを上げる。若しこのような相を具足するものがおれば、当に真の師子王である。夜明けに穴から出て、四方を顧み、雄叫びを上げる。一切の畜生の内、師子が最も勝る。 -涅槃経・大智度論-
「善住」と名づけられる一頭の象王が有る。身体は純白でよく飛行する力があって、身の毛は雑色に恵まれて六牙は鋭利で、八千の象王を以て眷属と為し、香山の娑羅樹下に住し、娑羅樹王
の辺には八千の浴池が有り、縦広は五十由旬で其の水は清涼で七宝を以て塹(ほり)と為し、五色の雑華は池の内に集められている。象王が池に入らんと欲するなら、八千の象がその念に応じて至り
、扇を持つ者、唱讃しながら前に導く者、象王の尾・背・髀・足を洗う者、華根を抜いて食のために王に与える者、採華を王の上に散じる者などが共に池に向かう。八千の象も亦洗浴を王と共に
楽しみ、大小の便利は諸の夜叉鬼が山林の外に移す。
十誦律よれば、_阿耨達池に善住象王の宮殿が有る。_と。また増一阿含によれば、_香積山の側に八万四千の白象が有り。
釈提桓因は最下の象に乗る。転輪聖王が乗る象は「象宝」と名づけられる。金壁山の中に八万の巌窟が有り。八万の象は其の中で休憩し、身色は純白で頭に雑色が有り、口に大きな牙が有って歯
は並んで金が詰まっている。_と。
-長阿含経第・増一阿含・楼炭経-
馬王は「婆羅醯」と名づけられる。大海州の明月山に宮殿が有って、八千馬を以て眷属と為し、若し転輪聖王が世に出るなら、最小の者が馬宝と為り、王に給われ乗御となる。
-増一阿含経-