餓鬼道

餓鬼道

餓鬼とは

腹の大きいこと、大山の如し。咽の細いこと、針の如し。百千歳水の滴る音を聞くことがない。悪物や不浄を食する。共食いもある。飢渇の見舞われて苦悩を受ける。上から大火が降って其の身が焼かれる。これらの餓鬼は 前世の悪業の故に、このような苦を受ける。

餓鬼道の所在

餓鬼の住む場所は二種類有る。

一、人間界に住む者
人間界に住む鬼は夜に行動し、昼に伏す。人間とその行いが逆である。故に人が夜出歩いていると希に見つけることがある。霊といわれる類。 俗にいう心霊現象が夜に多く起こるのはこのため。

二、餓鬼世界に住む者
餓鬼世界は閻浮提の地下五百由旬の所に三万六千由旬の長さで存在し、閻羅王の統領になっている。余の餓鬼悪道も眷属として、其の数は無量で悪業は甚だ多い。

鬼について

餓鬼は文字通り、「餓えた鬼」であるから、餓えない鬼もあるのである。それが「鬼神」と呼ばれる。
また前者は「無威徳鬼」、後者は「有威徳鬼」とも名づけられる。

鬼の中の好ましい者は「有威徳鬼」であり、その形容は端正で諸天と異ならず。又一切の五嶽・四涜山・海に住む諸神の多くは悉く端正で好ましい。
第二の醜い者は「無威徳鬼」と謂う。形容はあまりにも鄙悪で説くことができない。身は餓えた狗の腔の如し。頭は乱れて咽の細く小さいことは針と同じ。脚は朽ちた木の如し。口からは常に涎が垂れ、鼻からも汁が常に流れ、耳内には膿が生じ、眼の中から血が出る。これらが、大醜である。
また有威徳の者は「貴」と名為けられる。無威徳者は「賎」と名為けられる。又鬼王と為る者も「貴」と名為けられる。その使いとなる者は、「賎」と名為けられる。
貧富の差はどうだろう。有威徳の者は衣食に多く恵まれ僕使を自在に操ることができる。これが「富」である。 身は常に駆役となり、食は不味く、服を着ることが難しい。これらの類が「貧」である。

彼の威徳が有る者は山谷に住み、或いは空中に住み、或いは海辺に住む。皆宮殿が有って果報は人を過ぎる。彼の威徳が無い者は不浄の糞穢などに住する。或いは草木、塚墓に止まったり、或いは厠(便所)に住み、皆舍宅が無い。果報は人に劣る。
又四天下中には悉く鬼が住する。東西二方は「有威徳鬼」と「無威徳鬼」、北方は唯「有威徳鬼」が住する。「無威徳鬼」が有ること無し。其の報いが勝るが故。
三十三天まで至って、その中にも亦「有威徳鬼神」が住する。彼の諸天の使いとなる所。これより上の諸天に鬼の住居は無い。

彼の有威徳鬼の生活は豊かであり、衣食は自然に有り、身は天衣を服し、食事は天と等しく、形体も優れ、身の動きも軽く、情に任せて遊戯する。問:斯の楽は天と異ならず、楽に満ちて人に勝る。何故経は人鬼を区別するのか。答:経に説かれている鬼神は人道と同じでないことが二つある。一つは果報が公に顕れ人に及ばないこと。彼の鬼神は昼に伏して夜に遊ぶが故。二つ目は虚しく怯えて多く畏れを懐くことは人に及ばない。威徳が有りと雖も報いは卑劣で常に人を畏れる。昼夜に人に値えば常に路に避けて自分を隠す。問:人に劣るならどうやって天と同じ威徳を得たのか。答:前世に大布施を行ったが故、威徳の報いを得る。また前世に諂曲で不実であったため、斯の鬼道を受ける也。

餓鬼の寿命

約五百歳。餓鬼道中の一日一夜は、この人間界の十年にあたる。

餓鬼に堕ちるのは

前世に多く貪欲・妬嫉を起こしたもので布施をしなかったものが餓鬼道に堕ちる。
または 人を欺誑し、財物を貯めこみ貪惜する。常に富を望み、様々な衆悪を広く積む。布施を行わず、沙門・婆羅門・及び諸の病人・盲人・貧窮人にも布施をせず、乞求に来た者にも慳嫉を生じて施さず、功徳を作らず、禁戒を持たず、妻子や奴婢にも惜しんで与えず衰悩させ 、慳嫉にして誑かす。この因縁を以て、餓鬼の中に堕ちる。

業報差別経の説によれば、十業を造れば、餓鬼中に生まれることになる。一、身は軽い悪を行う。二、口に悪を行う。三、意は軽い悪を行う。四、慳貪。五、非礼の悪を起こす。六、諂曲にして嫉妬の性。七、邪見を起こす。八、資生の物を愛著する。九、飢えに困り亡くなる。十、枯渇により死ぬ。是の業を以て、餓鬼中に生まれる。
 

餓鬼の種類

針口餓鬼

前世の時、財で人を雇い、殺戮を行うように命じ、慳貪にして嫉妬の性で、布施を行わず、衣食を施さず、無畏を施さず、法を施さない。このような悪人は身壊れて命終した後、針口餓鬼の身を受ける。鬼の身を受けた後、誑惑を行う。口は針の孔の如し。腹は大山の如し。常に憂悩を懐く。飢渇のため、其の身を火で焼かれる。外には寒熱が有 り、蚊虻などの悪虫、熱病の悩みなどがある。このような身心で、種種の苦を受ける。
若し他人の布施を障り、己の物を惜しむなら、針口鬼の中に堕ちて、腹は大きくて常に飢渇に悩まされる。-六道伽陀 経-

食吐餓鬼

前世の時、婦人の身で其の夫を誑惑し、自分は美食を食い、心に慳嫉を懐いて子を憎悪し、与えることもしない。或いは男が有って、妻に理由も無く妬意が起こって独り美味を食し 、妻子に与えない。この因縁を以て食吐餓鬼に堕ちる。
常に飢渇して其の身を火で焼かれる。身は広大で半由旬の長さがあり、荒野の中で叫び声を上げながら疾走して水を求める。此の衆生は前世の時、 財物の布施、無畏の布施、法の布施を行わなかったため、餓鬼の中に生まれる。寿命は長遠である。五百歳経つまで悪業が尽きず、壊れないため脱することができない。常に欧吐したものを求めるが、得ることができず困る。命終しても畜生の中に生まれる。ここでもまた常に嘔吐 の物を食べて飢渇の苦を受ける。畜生中で死んで人に生まれても、余業の因縁のため、常に飢渇に悩まされる。諸の巷陌に於いて、常に世人が棄てた残食を拾って食べる。余業の故に、斯の ような報いを受ける。
形体が甚だ黒く痩ている。慳貪で布施をせず、或いは施しても還って其の人を謗るなら、食吐鬼に堕ちる。-六道伽陀 経-

食糞餓鬼(富提鬼)

前世の時、多く貪嫉を行い常に慳惜を懐く。布施を行わず、不浄の食を以て諸の沙門や婆羅門に施す。貰った沙門や婆羅門は不浄であることを知らず、これを食べてしまう。此の施人はこの悪業因縁を以て、身壊れて命終し、食糞餓鬼の悪道に生まれる。寿命もまた上と同じく五百歳である。
食糞餓鬼は飢渇によって身を焼かれる。諸の糞の穢れを求めるが、業力の故に猶(なお)得ることができない。蛆虫(うじむし)や糞屎で満ちている不浄の処で、常に馳走して求索するが、充足することができない。命も尽きることがなく、常に苦悩を受ける。若し悪業が尽きて命終しても 、生死の苦を受ける。人身を得ることは難しい。海亀が浮木に遭うが如し。若し人に生まれるなら 、貧窮にして多病である。常に飢渇に悩まされ、無量の衰悪に覆われる。其の身は破裂し、臭穢である。人の嫌われる所となる。口気は臭く、其の歯は黒い。余業の因縁のため、このような報いを受ける。

無食餓鬼

この餓鬼は前世の時、慳嫉で自分の心を覆い、妄語で欺誑し、良善をそしり、人を監獄に閉じ込めて食を与えず、死に到らせる。殺した後は喜び、悔恨を生ぜず随喜を生じ、また他人に もさらに悪業を教え 、悔いない。これらの悪人は身壊れて命終し、無食餓鬼の中に生まれる。
若しは男、若しは女が其の中に生まれるなら、飢渇の火が激しく燃え盛る。腹の中にも火が起こり、其の身を焼き尽くす。残るところ無し。滅した後、復蘇る。蘇ったら復焼かれる。二種の苦が有って其の身を焼かれる。一 つは飢渇、二つ目は火焼。其の人は苦が切迫し、悲しく叫んで四方に馳走する。自業の悪果によって内と外の苦を受ける。一切の身分は業火によって焼かれる。身の内から火が出て其の体を焼く。例えば大樹の内側が乾燥していて、若し人がそれを火に投げ込めばよく燃えるように、此の鬼が焼かれること、 斯くの如し。身を遍く燃やされる。悲しく泣き叫んで口の中から火が出る。二つの炎が同時に出て其の身を焼かれ、大苦悩を受ける。これは皆前世に心が貪嫉であったためである。寿命は長遠で五百歳である。

食気餓鬼

前世の時、自分だけ美いものを多く食い、妻子や余の眷属に与えず、其の前に於いて独りで食べる。妻子はただ其の香気だけを嗅ぎ、其の味を知ることがない。慳嫉の故、同業の眷属にも与えず、また他人にも妻子に食を与えないことを教え、心に随喜を起こす。斯の過を数々造っておきながら改悔せず、慚愧を生じない。このような悪人は身壊れて命終し、 食気餓鬼の中に生まれる。
生まれた後、飢渇によって身を焼かれ、処処に奔走して愁いて泣き叫ぶ。塔廟、及び天祀(天を祭っている所)に潜み、有信の人が来て諸の供養を行うなら、其の供養の香気、及び余の気を以て自活して命を保つ。また諸の世人が多病の因縁で水辺 ・林中・巷陌・交道で諸の祭りを行うなら、斯の香気を以て自活して命を保つ。このように食気餓鬼には無量の苦悩がある。悪業は尽きず壊れず朽ちないため、死ぬことはない。業が尽きてようやく脱することができる。命終しても業に随い生死を流転して苦を受ける。人身は難得。なお海亀が浮木に遭うが如し。若し人に生まれても貧窮にして多病で、身体は臭穢である。余業を以っての故に、このような報いを受ける。

食法餓鬼

人の時、貪嫉が多い性で身命を保ち、財利を求めて人に説法を与える。敬重心が無く、犯戒にして無信。諸の衆生を調伏させないが故、不浄の法を説いて、「殺生によって天福を得る。財を強いて奪っても罪報は無し。」と言う。このような不浄の法を以て人に宣言して説く。財を得ても自分だけを養い 、布施を行わず、その財物を貯め込む。是の人は嫉妬を以て心を覆い、命終し悪道の中に生まれ、食法餓鬼の身を受ける。
この人の寿命は五百歳である。上に説かれているが如し。嶮難の処に於いて東西に馳走して飲食を求索する。飢渇によって身を焼かれ、救う者は誰もいない。猶乾木が火に焼かれるが如し。頭髪は蓬乱し、身毛は甚だ長く、身体は痩せこけて脈は羅網の如し。脂肉は消尽して皮骨は くっつき、其の身は長大で、堅く、麁陋であり、爪は長利で悪業に 誑かされる所である。顔面はしわしわで眼は深くうもり、涙が流れ、一切の身分は悪虫の食べられる所。蚊虻・黒虫が毛孔より入って其の身肉を食らい、奔走する。若し僧寺に至るなら、或いは有る人が衆僧の中に来て、上座で説法して二種の施を行ったり、及び余人がその説法を讃歎するなら、此の鬼は此の施に 因って、命と力を得、存立することができる。

食水餓鬼

前世の時、悪貪で心を覆い、酒に水を加えて世間を欺誑する。布施を行わず、福徳を修せず、禁戒を持たず、正法を聴かず、正法を行わず、また他人にも悪貪を行うように教え、その行いを見れば随喜し、悔やまない。この悪業を以て身壊れて命終し、食水餓鬼道の中に生まれる。
常に飢渇に患わされる。其の身を焼かれ、広野・嶮難の処を走り回り、水を求めるが得ることができずに困る。其の身の状態は堅く、渋く、悪く、並んだ歯の如し。身は破裂して壊れ 、体は燃え盛って長髪で面は覆われ、目は見る所無く、飢渇に身を焼かれて河辺に走っていく。若し人が河を渡るなら、脚の下に落ちた泥まみれの残り水を素早く接取し、これを以て命を自活する。若しは人が有って河の側に在って水をすくって命終した父母に施すなら、其の水を少分得ることができる。この水によって命を存立させる。若し自分で水を取るものなら諸の守水餓鬼に杖棒で打ちのめされ、身の皮を削がれる。苦痛は忍び難し。悲しく泣き叫んで河の側に走っていく。悪業を作って自分の身を誑かしたが故、業の繋は尽きず、死ぬことが無い。業が尽きてようやく脱することができる。命終しても業風の吹かれる所。生死を流転する。

食唾餓鬼

若しは男、若しは女が慳嫉で心を覆い、不浄の食を以て諸の出家の沙門・道士を誑かして、「この食は清浄であります。信用してください。」と言い、これを食べさせる。或いはまた浄行人に非所(食べる場所ではない)で施して食わせる。此の業を数々造り、また他人にも教えて誑惑を行う。布施を行わず、禁戒を持たず、善友に近づかず、正法に順ぜず、不浄を楽しみ、さらに人にも教える。このような悪人は身壊れて命終し、悪道の中に生まれ、食唾餓鬼の身を受ける。常に其の身を焼かれる。不浄の処に於いて、壁、若しは地で、人の唾を求めて食べて自活する。余の一切の食は悉く食べることができない。悪業が尽きず壊れず朽ちないため、脱することができない。業が尽きてようやく脱することができる。此より命終して業に随って生死を流転して苦を受ける。

食鬘餓鬼

前世の時、花鬘(仏像の頂や前面にかける装飾品)を盗み、及び尊重・師長の花鬘を盗み、花鬘が浄潔であるが故に、これを用いて自分の身を飾る。悪心ではなく其の心が貪嫉であったなら、身壊れて命終し、仏塔や天祇の辺に生まれる。この餓鬼には神力が有る。若し人に忿諍が有って塔に詣でて誓いを立てるなら、すぐに其の便りを得る。よく悪夢を示し、衆人に恐怖を与える。若しは別の人が諸の悪事に遭い、恩力を求めて曰く、「此の鬼神には大威徳がある神通の夜叉である。」と言い、花鬘を以てそこに捧げるなら、此の鬘を得てこれを食べる。少分に飢渇を離れることができる。飢火に焼かれる所とは為らず。世人の讃歎となる。鬼は常に喜悦する。しかしこの食鬘鬼でも悪業が尽きず壊れず朽ちないためそこから脱することはできない。業が尽きてようやく脱することができる。此より命終して 、業に随って生死を流転し、苦を受ける。若し人に生まれるなら守園人となって花を売って自活する。余業を以っての故に、斯の報いを受ける。

食香烟餓鬼(尋香鬼)

心は嫉妬と悪貪に覆われ、香を売買し、人が香を買う所を見ればすぐに供養し、好ましい香は彼の買者に与えず、値がそれに見合わない劣香を以て与える。心には浄信が無く、「悪報は無し。」と謂い 、諸仏の真実福田を知らず。このような悪人は身壊れて命終し、食香烟夜叉鬼の中に生まれる。
この餓鬼にも神通が有って、身は香鬘を服し、末香等を塗り、妓楽を楽しみ、神廟の四交巷中等に生まれる。寺舎や楼閣、林間などを遊行する。世間の愚人は恭敬・礼拝し、種種の諸香を以て之を供養する。前世の時、香を売買して人に勝上福田を供養させたが故、このような夜叉には神通力が有 り楽報を得ることができる。鬼の世界に於いて苦を脱した後、命終して業に随って生死を流転する。

餓鬼の種類の続き


参考文献
正法念処経・
六道伽陀経・婆沙論


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